ワード一覧 解   説
中部山岳国定公園 飛騨山脈を中心とした国立公園。国立公園は国が直接管理しており、別に国定公園がある。国定公園は国立公園に準ずる景勝地として定められ、都道府県が管理している。2007年(平成19年)末で、国立公園は29箇所、国定公園は56箇所、都道府県立自然公園は309箇所指定されており、面積の合計は、日本の国土の約14%といわれている。
立山開山 立山の開山は伝説では701年、史実に現れるのは平安初期といわれています。立山開山を記した最も古い文献は「伊呂波字類抄」で、越中守佐伯有若が開いたとされます。しかし「立山開山縁起」には有若の息子、有頼が開いたとされており、開山時期と開山者が異なっています。諸説色々ありますが、現在では開山の祖を「有頼」としています。想像ですが、立山信仰にある成年男子は立山に登拝して一人前であるとされており、有若が登山道を整備し、有頼が青年の儀式として登拝したことが開祖の変化した由来ではないかと考えています。
日本百名山 白馬岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、剣岳、立山、薬師岳、黒部五郎岳、黒岳、鷲羽岳が富山県および長野県に隣接する山々です。
表記にある殆どの山がルート沿いから見ることができます。また、二百名山では、針ノ木岳、鳥帽子岳、奥大日、岳餓鬼岳が追加となります。
ジオパーク ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を複数含む一種の自然公園のことです。
ジオパークでは、その地質遺産を保全し、地球科学の普及に利用し、さらに地質遺産を観光の対象とするジオツーリズムを通じて地域社会の活性化を目指しています。富山では「糸魚川-静岡構造線」が2009年に世界ジオパークの認定をうけました。また、魚津埋没林と立山カルデラが2007年の第一次選定に入っています。認定済のジオパークは、日本には4か所あり、長崎(島原半島)、北海道(洞爺湖、有珠山)、新潟(糸魚川)、山陰(玄武洞、神鍋火山、鳥取砂丘)です。世界ジオパークは全世界で64箇所あります。
山岳信仰 開山後の立山地区は、修験僧の修行の場として、立山信仰の中心地として栄えてきました。特に立山信仰の盛んであったころには麓(現:芦峅寺)では参拝者用の宿坊が57もありました。明治元年まで信仰は盛んでしたが、1868年の廃仏毀釈により立山信仰は衰退していきました。神仏混淆であったことにより、立山は信仰を維持できなくなりました。
雄山 立山の主峰とされる山です。雄山には峰本社があります。
岩峅寺には前立社檀、芦峅寺には中宮があります。雄山には不動明王、阿弥陀如来、伊弉諾尊、手力雄命が祭られています。
立山の別名 立山エリアの山には別名が色々あります。少し例を挙げてみます。立山=多知夜麻、別山=帝釈嶽、大汝=大己貴、大日岳=金峯山、弥陀ヶ原=中津原、称名滝=勝妙滝、ハンノキ滝=涅槃滝、ソーメン滝=御赦免滝、みくりが池=三繰ケ池などです。
佐伯 有頼 立山開山の祖。鷹に導かれ立山を開いた後、出家して「慈興」と名を改めました。現在の魚津市に慈興の建立した寺があります。慈興院大徳寺といい、寺には立山曼荼羅が収蔵されています。また、この近くの片貝川そばには「有頼柳」があり、柳に載せられた小石を持って立山山頂を目指す風習がありました。現在でも保存会が柳と風習を守り続けています。
宗教色の濃い名称 今でも残ってい名称には、大日岳、薬師岳、五色ガ原、弥陀ヶ原、浄土山、地獄谷、称名滝、閻魔台、弘法、涅槃滝、三俣蓮華岳、蓮華岳、賽の河原、血の池などなどがあります。
立山旧道散策 現在では高原バスで50分の道のりも、昔は歩いて登りました。その登山道を「立山旧道」と呼んでおり、今でも整備されています。
称名滝から八郎坂、追分、弥陀ヶ原と来ることができ、弥陀ヶ原から天狗平、室堂へと登山道は続いています。クサリ場が一部にありますが、殆どが木道として整備されており、初、中級者向けのコースです。
西国三十三番札所
観音霊場 分霊石仏
1番から33番まであるとされる石仏で、立山旧道に設置されていましたが、現在では十数体が遺失しています。1番岩峅寺をスタートし、室堂と祓堂の中間にある33番で終了です。石仏は数種類あり、現存のものでは「十一面観世音菩薩」「聖観世音菩薩」「千手観世音菩薩」「馬頭観世音菩薩」「千手千里観音菩薩」「二臂如意輪観世音菩薩」「不空羂索観世音菩薩」「二臂千手観世音菩薩」「准胝観世音菩薩」などがあります。
祓度(祓堂、祓戸) 祓度の意味は祓戸と同義で、音が同じことからどちらでも同じ意味となるそうです(漢字であるが助詞的な使い方)。現在の祓堂には「祓度社」の看板が着いているため、正確には度を使うのが正しいようです。祓度とは祓戸大神(4神)につながり、祓い神をまってある場所の意味で、富山になじみ深いのは、禍ごと、罪、穢れを川から海へ洗い流す神「瀬織津姫」が祭られていると推測されます。昔は、祓度社(立山村)と祓戸社(芦峅寺)があったことが文献に記されており、今の場所へ密かに移設したとの説があります。
称名滝 日本一の落差(350m)を誇る滝。段差は4段。
1段目は70m、2段目58m、3段目96m、4段目126mとなっており、滝壺の深さは6m、直径60mあります。名前の由来は、滝の音が称名念仏に聞こえたからだとか。称名滝は富山県だけでなく、新潟県妙高にも存在します。
称名念仏  浄土教では「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)のことを言い、「称名」とは、仏・菩薩の名を称えることだそうです。
ハンノキ滝(ネハン滝) 春の雪解け時など、水量の多い時期にしか観ることの出来ない落差500mの滝です。称名滝の右側に流れ落ちる滝で、5月〜7月上旬まで称名滝とハンノキ滝でV字型になります。6月は水量が非常に多い為、1年のうちで一番迫力があります。別名、涅槃滝、阿吽の滝ともいいます。
立山有料道路 桂台料金所から順番に表記すると、桂大橋〜下細谷橋〜上細谷橋〜恒性寺隧道〜美女平隧道〜美女平となります。 
悪城の壁 溶結凝灰岩の岩壁で一枚岩盤としては日本一の大きさ。長さ2km、高さ500mといわれる隠れ絶景ポイントです。悪城の壁は、別名「千仞のヤグラ」、「悪王城」ともいいます。人生の壁とはこんな感じか?
熊王の湧水  立山登拝する人は、藤橋から美女平に登る途中、熊王権現社にお詣りし、湧き出る清水で喉の渇きを潤したそうです。
清水の場所は、美女平駅向かって左方向150m、散策道より下の崖をおりた沢に熊王清水があるそうです。
立山ケーブルカー 立山駅〜美女平間を運行。最大斜度29.14、最緩斜度18.3。つるべ式で運行するケーブルカーです。よく聞かれるのが、「ポイントもないのにケーブルのすれ違い時にどうしてぶつからないのか」です。それはポイントがなくても進行方向の左車輪が溝付きで、右車輪が溝なしになっているからです。
材木坂 立山駅と美女平の間にある坂で、黄金坂〜草生坂〜美女杉坂〜美女平を総称して材木坂と呼ぶそうです。
名前の由来は溶岩が固まって材木のような形になった石(柱状節理)が多く見られることから名付けられました。
美女杉伝説(BAD END) 昔、立山は女人禁制でしたが、禁を破り入山した尼と2人の幼い付き人が神の怒りにふれ、付き人の一人は美女杉に、もう一人はカムロ杉に変えられました。無理に付き人を引っ張ってきた「止宇呂尼」という尼は、一人で登り続け惜しい所まで来ましたが、「姥石」という石に変えられてしまいました。尼は、せめて手鏡だけでもと、鏡を山頂の方向に投げました。投げた鏡が「鏡石」になったと云われています。
美女杉伝説(GOOD END) 立山を開いた佐伯有頼には美しい許嫁のお姫様がいました。お姫様は一目有頼に逢いたくて、立山に登ってきました。
しかし有頼は、山を拓くまでは逢うことは出来ないと姫を追い返しました。姫は仕方なく山を下りる途中で1本の杉に「美しき御山の杉よ、心あらば、わがひそかなる祈り、ききしや」と祈りました。すると後に願いは成就して、二人はめでたく結ばれました。この祈りの杉こそ「美女杉」で歌を三度唱えれば、恋がかなうと云われています。また、この美女杉にちなんで、杉のある一帯を美女平と呼ぶようになりました。
美女杉 若くて綺麗な女性は杉になる?(伝説では男勝りの女子)。現在の美女平駅舎前にある美女杉は2代目といわれています。
カムロ杉 若くて綺麗な女性は杉になる?(かむろ=童女のおかっぱ頭)。現在では禿杉の跡しかありません。美女平を室堂方面に出発した、最初の右カーブ、右手に跡があります。
美女平原生林の巨木  美女平地区には、幹周り6m以上の巨木が147本あるといわれています。中でも名称がある杉は10本あります。1.美女杉 2.出迎え杉 3.子育て杉 4.お姥杉 5.不老樹 6.火炎杉 7.天涯杉 8.アルペン杉 9.仙洞杉 10.向雲杉が名称の付いている巨木ですが、名称が無くても幹周り8mを超えるものもあります。これらの中で一番太いのは不老樹で、幹周り10.5m、高さ34mあり、正確な樹齢は不明です。今までは正確な計測が為されておらず、樹齢は200年〜300年と思われてきました。これは平地の成長基準に基づく樹齢でした。2010年に炭素測定したところ、6m程度の太さの立山杉で、2000年という結果がでたことから、不老樹などは、樹齢が3000年あっても不思議ではありません。(屋久島の屋久杉で最長樹齢2400年だといわれています) 
断罪坂 雄山神社の末社、断罪坂社があったところ。断罪というからには罪を裁かれる場所ということで、文献では断裁坂と書かれているものもある。美女平からバス道路最初のカーブにあり、現在はお地蔵様が安置されています。
姥石 他人の犠牲を省みない、気合いと根性のある年輩の女性は石になるというお話。(伝説では福井県小浜出身)
鏡石 現在の姥石と鏡石の位置関係を考えると、室伏よりすごい尼がいた証明。(伝説では手鏡を投げた)
女人禁制 立山は昔、女人禁制であったため、現在の芦峅寺付近までしか登れませんでした。
布橋灌頂会 女人禁制であるため、立山に登れない女性は芦峅寺にある布橋で白布を引いた橋の上を渡り、仮ではあるが、登頂したことに見做す行事に参加しました。立山に登ること=死後に極楽浄土に行けることは同義であり、江戸時代の参加料は10匁でした。(現在の貨幣価値に換算すると5000円〜1万円ぐらい)今でも数年に1度、再現イベントが開かれています。(布橋を目隠しで渡りきらなければならないのですが、悪人は橋を踏み外して谷底に落ちると言われていました)
女性禁止区域@ 女性で一番最初に禁止区域に入ったのは、明治6年の深見チエさんと云われています。
女性禁止区域A 始めて登頂した女性は、明治42年にオランダ人技師、「ヨハネス・デ・レーケ」の娘である、ヤコバさんだと云われています。
登山期間 昔、立山は加賀藩の管理下にありました。当時は男性でも立山へ登ってもいい期間は7月、8月の2ケ月間だけでした。
立山有料道路 富山県道路公社が管理する有料道路です。
通行許可車のみ乗入れを許されており、一般車は通行できません。また貸切バスによる乗り入れの際には、通行料(大型)50400円がかかります。白ナンバーのバスやタクシーは入れません。でも、昔の料金表には自転車の金額が書いてあったような・・・・・。(1460円って)
立山高原バス 美女平〜室堂間を運行。ハイブリット式を採用しており、上りは通常エンジンを使用し、下りはモーターにて運転しています。乗車時間は50分間で、途中、弥陀ヶ原、天狗平にて乗降することができます。現在24両の車両が導入されています。
滝見台 立山有料道路を走るバスが称名滝が見える場所で止まります。遠くに滝を見ることができますが、見えない日には「今日はみえません」とお断りして通過します。
大観台 称名滝を下から見上げるのではなく、少し見下ろす感じで観る事ができる断崖に立つ展望台です。
高原バスの上ノ子平、もしくは弘法で下車し遊歩道を歩くと行くことができます。(但しバス停設置後に限る)
昭和天皇が立寄られたことのある場所で、その際にきれいな展望台に整備された。
八郎坂 称名滝から弘法につながる登山ルートです。
元々は胸突き八丁の意味で大正13年に開かれた当時は八丁坂と言われていましたが、その後ここを案内していた名ガイドの佐伯八郎さんにちなんで「八郎坂」と名づけられました。
弘法 八郎坂を上りきったところにあります。名前の由来は弘法大師の名前からきています。
昔々弘法大師がこのあたりを通りかかった際に、この近くに水場がなくて登山者が難儀していることを知り、気の毒に思った大師が地面に錫杖を突きたてて、清水を湧き出させたという言い伝えがあります。ここには立山室堂の次に古い小屋がありましたが、バス道路開通後利用者がいなくなり今では跡形もなくなりました。弘法大師は何しに来たんだろう?錫杖1本で水を出せるなら、修行する必要ないだろうに・・・。
弥陀ヶ原 標高1,936mに位置し阿弥陀如来が開いたことろという意味で名付けられました。
弥陀ヶ原高原は高山植物の宝庫で色とりどりの可憐な花が見られます。代表的なところでは「ちんぐるま」「わたすげ」「ゼンテイカ」「リンドウ」などです。珍しいところでは、「トリカブト」「モウセンゴケ」「シラネアオイ」「反魂草」などです。
立山カルデラ展望台 弥陀ヶ原駅下車、徒歩15分の場所にある展望台です。カルデラを見られる場所は松尾峠、室堂山展望台にもあります。
立山カルデラ カルデラとは火山活動と侵食作用で形成された崩壊地です。
立山カルデラは、南北4500m、東6500mの範囲に及ぶ日本有数の大規模崩壊地です。カルデラはポルトガル語からきており、大鍋の意味があるそうです。
獅子ケ鼻  天狗平から弥陀ヶ原に向かう登山道の途中に獅子ケ鼻岩があり、吠える獅子の姿に見えることから名付けられたらしい。ここには役行者石像、弘法大師像、不動明王石仏、地蔵石仏などがあり、弘法大師を祭った箱折社もある。岩の先に立つには勇気がいります。 
立山砂防 安政5年の飛越大地震により大鳶山と小鳶山が崩れ土砂が大量に堆積し、川を堰き止め土石流が2度発生しました。
常願川は氾濫を繰り返し、それを抑える為に砂防工事がスタートしました。100年前から砂防工事は続いており、現在も休むことなく継続されています。砂防工事の中で有名なのが「白岩砂防堰堤」(高さ108m)です。
砂防は世界共通の用語となっており、英語でもSABOです。TSUNAMIと同じで日本が語源となっています。
立山カルデラ砂防博物館 立山カルデラの全てが学習できる施設です。
大型映像ホールでは、320インチ画面に3Dハイビジョン映像を上映しており、上映内容は「崩れ」「大地のドラマ」です。「崩れ」は幸田露伴の娘、幸田文の文章「崩れ」を取り入れ、立山カルデラと安政の大災害を解り易く、且つ、室井滋がナビゲーターを務めるお話でお勧めです。
ザラ峠 立山カルデラの上方に位置する獅子岳と鷲岳の間にある峠です。
昔、富山城主の佐々成政が徳川家康に援軍を求める為、真冬に越えた峠であると言われています。当時成政は小牧・長久手の戦いで家康を指示し、前田利家、上杉景勝と戦っていました。しかし家康が秀吉と講和したため戦線を維持できなくなりました。そのため援軍を求めたいのですが、石川、新潟とも敵地であるため、前人未到といわれた「さらさら越え」を実行したのです。結局援軍は得られませんでした。
クロユリ伝説 佐々成政をご紹介したついでに有名な「クロユリ伝説」もお話します。
必死の想いで冬山を越え、60人の部下が6人になるくらい過酷な行軍を終え城に戻ってきた成政は、腹心の部下と一番愛する側室との不義密通の話をきかされました。最初は信じなかったのですが、他の側室達の2重3重の陰謀により、とうとう信じることができなくなり、2人を殺してしまいました。末代まで呪ってやると言い残して殺された側室の名が「小百合」でした。加えて、秀吉に下った成政を北政所ねねがかばってれ、そのお礼に立山ではめずらしい「クロユリ」を送りました。珍しい花を喜んだねねを見て、淀が陰謀を企てます。なんと白山から大量のクロユリを取り寄せてこれ見よがしに見せ付けたのです。珍しくない花を珍しいとうそを言って成政が送ったものと腹をたてます。唯一の味方であるねねに見捨てられ、結局成政は非業の死を遂げます。このことから、富山ではクロユリは不吉な花。石川(白山)では幸運の花と見解が分かれています。女は怖い!
黄金伝説 佐々成政が援軍要請のためにザラ峠越えを行った。
その際、鍬ア山に軍資金を7つの坪に入れて隠したとされています。
ヨハネス デ レーケ 富山県が治水事業の際、招聘したオランダ人技師。富山では有名人で試験にもよく出てくるひとです。有名なのは常願寺川をみて言った一言。「これは川ではない、滝だ」と言ったそうな。それは言いすぎだろ!
餓鬼田 弥陀ヶ原高原は湿原帯で、至る所に「ガキの田」と呼ばれる小さな池(池塘)が数千個も点在しています。立山信仰によると、地獄の餓鬼が飢えをしのぐ為に田植えを真似て苗を植えたのですが、秋になっても実りは無く、飢えは満たされなかったことからこう呼ばれています。実際に池塘には稲に良く似た「ミヤマホタルイ」という名の植物が生えていますが、実はつきません。
立山の森林限界 立山は3000m級の山々が連なる山岳地帯です。そのため植物にとっては厳しい環境にあります。立山高原道路の道沿いでは美松と天狗平の間に森林限界があり、車窓の風景も一変します。樹木が森林帯を形成する限界点が森林限界ですが、一目で高木が無くなり低木しか見られなくなります。青森椴松がなくなり、ハイマツが群生し始めます。
ソーメン滝 地獄谷を流れる川の先にあり、別名「御赦免滝」といいます。今では訛って、見た目がソウメンの様に細いことから「ソーメン滝」といわれています。落差は100mあり、高原バスから見ることができます。
高山植物 立山の高山植物で代表的なのが「ちんぐるま」です。ちんぐるまは草ではなく、小さくても木なんです。バラ目バラ科ダイコンソウ属で数ミリの茎には年輪がちゃんとあります。チングルマの中でも希少なものがあり、タテヤマチングルマといい、薄桃色の花が咲きます。
雷鳥@ 立山の雷鳥は日本雷鳥で絶滅危惧種U種に指定されています。正式な学術名はラゴパス・ミュタス・ジャポニカといいます。英語ではターミガンと言い、列車名にもなっているサンダーバードとは、インディオの民族信仰にでてくる巨大な伝説の鳥の名前です。
雷鳥A 雷鳥は冬と夏では外見がことなります。保護色になっている為、冬は白。夏はウズラのように茶色の斑模様になります。
氷河時代からの生き残りと云われており、冬毛の時には足の裏まで兎の様な毛が生えています。鳴き声はカエルのような声で「ゲーツ、ゲーツ」と鳴きます。
冬に白い羽となるライチョウ属の種をPtarmigan、羽の色を変化させない種はGrouse と呼び区別されます。
雷鳥B 雷鳥の雄と雌の見分け方は、目の上のアイシャドウです。赤いアイシャドウのある方が雄になります。恋の季節は6月頃でハイマツの下に巣を作り、子供を育てます。子育て中が一番雄雷鳥が見やすい時期で、見張りの為に雄雷鳥が岩の上などに立つからです。7月中旬には親子連れの雷鳥を目撃することができます。
雷鳥C 日本雷鳥とは違い、エゾ雷鳥は絶滅危惧種に指定されていないため、北海道では禁猟期間以外には採って食べられるらしいです。また、輸入食材にも雷鳥があり、興味のある方は挑戦してみてください。
雷鳥D  日本全体で約3000羽の雷鳥が生息していると言われています。北アルプスには2250羽、南アルプスには700羽と考えられています。そのうち富山県では1290羽、室堂近辺では300羽が生息しているといわれています。日本国内の、現在の分布北限は新潟県頸城山塊の火打山と焼山、分布南限は南アルプス、イザルガ岳であるようです。
日本サル ニホンザルの生息地6か所が日本の天然記念物に指定されている。宮崎県串間市の幸島、大分県大分市の高崎山(高崎山自然動物園)、大阪府箕面市の箕面山(箕面山自然動物園)、千葉県富津市の高宕山(高宕山自然動物園)、岡山県高梁市の臥牛山(臥牛山自然動物園)、青森県の下北半島(北限のサル)である。通常サルは雪のない場所に生息するため、日本サルのことを英語でSnow Monkeyと呼ぶこともある。
ツキノワグマ 咽頭部の毛は白く、三日月状に見えることが和名の由来となっている。食性は植物食傾向の強い雑食で、春はブナなどの新芽を、夏は主にアリ、ハチなどの昆虫類、アザミなどの草本類、ウワミズザクラなどの液果類、秋は主にドングリ、クリなどの堅果類やアケビ、ヤマブドウなどの漿果類を食べる。99%ベジタリアンと言われており、おとなしい熊である。
絶滅危惧種 環境省が管轄し、改訂は(財)自然環境研究センターが行なっている「レッドデータブック」にてリスト化されている。絶滅、野生絶滅の次が絶滅危惧種で絶滅の危機に瀕していることを意味する。絶滅危惧種T類は、近い将来に野生での絶滅が危惧されている種で、U類は絶滅の危険が増大している種の意味です。絶滅危惧種の分類は細かく分けて8種類あり、絶滅(EX)〜情報不足(DD)までその危険度や絶滅までの時間で振り分けられています。
富山の雷鳥  富山県では昭和47年から生息・生態調査を実施しており、これまでの県内20山系の調査結果から、ライチョウの生息数は約1290羽と推定され、国内のニホンライチョウの約1/3が県内に生息しているといわれています。平成18年6月に行った室堂近辺の現地調査では、視認されたライチョウの成鳥の生息数は160羽であり、調査地域内には245羽の成鳥が生息していると推定されており、平成15年度の225羽に比べ9%増となっています。H22年6月の薬師岳調査でも、ナワバリ数にあまり変化がみられませんでした。温暖化による生息域の減少などが叫ばれていますが、現時点では影響は確認されていません。
イワツバメ  夏季は東アジアで繁殖し、冬季は東南アジアで越冬します。日本には3月頃繁殖のために飛来し、背面の羽毛は濃い藍色。咽頭部、腹面、腰の羽毛は白く、食性は動物食で昆虫類を食べる。飛行しながら口を大きく開けて獲物を捕食します。4-8月に海岸や山地の岩場に泥と枯れ草を使って上部に穴の空いた壷状の巣を作り1回に3-4個の卵を産み、集団で営巣します。近年はコンクリート建物にも巣作りします。
オコジョ@ イタチ科イタチ属で、学術名は「Mustela erminea nippon」といいます。雷鳥と同じで本州のオコジョ「ホンドオコジョ」と北海道のオコジョで「エゾオコジョ」の2種類が生息しています。
オコジョA 室堂にもオコジョが生息していますが、実際には15cmほどで小さく、すばしっこく、ほとんど見ることが出来ません。肉食で雷鳥のヒナも狙っています。雷鳥のヒナも、おこじょもどちらも可愛いのに、自然界は弱肉強食だということがよく解ります。
ニホンカモシカ@ 漢字で書くと「氈鹿」または「日本羚羊」。ウシ目ウシ科カモシカ属で学術名はCapricornis crispusです。シカなのにウシとは?紛らわしいので「ウシカ」と名付けてくれればいいのに。
ニホンカモシカA カモシカの由来は、その毛をカモ(氈)と呼んでいたからだそうです。日本固有種で通常のシカよりずんぐりしており亜高山帯に生息しています。アルペンルートでは富山側の玄関口である立山駅近辺に生息しています。立山駅近くの芦峅寺には「かもしか園」(風土記の丘)があり、カモシカを見ることができます。野生のカモシカは立山ケーブルカーに乗っている時、たまに見られます。
雪の大谷@ 「雪の大谷」は、地形的に他の場所より雪が吹き溜まり、積雪が多い場所です。そのため、平均17mもの高さの壁になります。よく質問されるのは「積み上げたのでは」と言われます。積み上げる為には除雪機の性能UPさせるなど、今以上に費用がかかります。雪の大谷は、「かんな」で削るようにブルドーザーで少しずつ掘り下げて造ります。雪の大谷の区間は約500mありますが、この区間を除雪するのに1ケ月程度かかります。
雪の大谷A 雪の大谷は立山黒部アルペンルートの全線開通の日から5月の下旬まで歩くことができ、17mの高さの白い壁を見上げると圧倒されます。今まで一番高かった時には23m近くもありました。
雪の大谷B よくある質問で、壁は倒れてこないのか?崩れたりしないの?ということを言われます。雪は下になればなるほど加重がかかり、圧縮されて非常に硬くなります。また、雪は上から融けるため、倒れてくることはありません。
雪の大谷ウォーク 平成23年で18回の実施となりました。4月の全線開通から5月の下旬まで、雪の壁を真近に観て触って大自然の驚異を体感してもらうイベントです。イベント期間中はバス道路の片側を歩行者専用に確保しますので安全にご覧いただけます。また、お越しのお客様には記念証をお配りしています。2009年5月10日で通算参加人員が100間万人を超えました。
室堂@ 「室」は泊まれる建物、「堂」は宗教的な施設という意味で「室堂」です。現在は地名として使っていますが、本来は地名ではありません。石川県の白山にも室堂はあります。
室堂A 室堂は重要文化財の「立山室堂」のある標高を基準に2450mと表示しています。室堂ターミナルの正式な標高は2432mといわれています。(北緯36度34分36.2/東経137度35分42.1)測定地点室堂には室堂ターミナル、山小屋、キャンプ場、があり、アルペンルートの中心地です。簡単なトレッキングから本格的な登山まで幅広い楽しみ方が可能な場所です。標高が高いことから沸点が低く、コーヒーがおいしいことはあまり知られていません。
室堂B 室堂の気圧は平地の4分の3(760hp)、沸点は93℃ぐらいといわれています。そのため、お米は圧力釜で炊かないと硬くなり、おいしくなりません。
立山と白山 立山は富山県単独の山で飛騨山脈に属しています。白山は石川と福井、岐阜にまたがる山脈で両白山地に属します。立山と白山にはたくさんの類似点があり、同一名称をここでご紹介します。別山、室堂、大汝、弥陀ヶ原が同じ名称です。
剱岳 H21年夏に公開された「剱岳 点の記」で有名になった山ですが、昔から登山家の憧れの山でもありました。富山県の剱岳を含めてつるぎと名のつく山が北海道、岩手、秋田、福岡と5つあります。しかしこの漢字を使うのは富山県のつるぎ岳だけだそうです。古い資料では2998mとなっていますが、再計測の結果、2999mの標高となっています。
3000m級の山 立山は日本で20位の標高ですが、3000m級の山をかかえている県は比較的少ないようです。各都道府県の最高峰が3000mを超えている県は5県だけです。山梨、富山、長野、岐阜、静岡ですが、富士山と奥穂高岳は2県にまたがっている為、もう少し調べてみないと判りませんが単独では富山だけということになるようです。
立山@ 「立山はどの山ですか?」との質問を耳にします。立山という名称の山は無く、雄山、大汝山、富士の折立の三山を総称して「立山」と呼んでいます。一番高いのは大汝山で3015mであることから、立山といえば3015mということになります。雄山には山頂社務所があり、多くのお客様が参拝に訪れます。
立山A 立山は何を奉っているのかあまり知られていません。立山は歴史的に神仏混淆の山で、神も仏も奉っています。神道的には「伊弉諾尊」と「手力雄命」で、仏教的には「阿弥陀如来」と「不動明王」といわれています。
立山B  日本には3000mを超える山はたくさんあります。でも3000mの山を抱える県は全国5県しかありません。しかも、単独で3000mを超す頂を抱えているのは富山県のみです。岐阜、長野、静岡、山梨は単独峰ではなく、県境となっています。 
みくりが池@ 室堂ターミナルから歩いて10分程度の場所にある、周囲631m水深15mのカルデラ湖です。風の無い日(凪ぎ)には、立山が逆さに写りこみ、神秘的な風景を見せてくれます。
みくりが池A みくりが池の名前の由来は、一説には、「神にささげる供物を調理した池」の意味だといわれています。また、僧侶の良慶が三回池を泳いだ後に地獄に落ちた伝説から「三繰りケ池」の意味で名付けられたとも云われています。
地獄谷@ 立山は活火山であり、現在も各所で温泉が湧き出たり、イオウ臭のする噴煙があがったりしています。特に顕著に活動が観られるのが地獄谷で、地獄に似た景観であることから名が付けられました。鍛治屋地獄、紺屋地獄、血の池地獄などの名がついた場所があり、その名の通り、今でもガス検知器が付けられていて、警報がなれば地獄谷一帯は立ち入り禁止になります。
地獄谷A 地獄谷と浄土山の中間に「エンマ台」と名付けられた場所があります。
「エンマ」は「閻魔」の意味で、ここで裁かれて地獄へ落とされるか、極楽浄土へ登るかが決まります。地獄に落とされた魂が罪を償った後、許されて出ることの出来る場所が一箇所あります。それは地獄谷を流れる川の先にあり、「御赦免滝」といいます。
地獄谷B 今昔物語集にも登場しており、立山の地獄に落ちた女性から依頼を受ける僧侶の話が載っています。
地獄谷C 立山の地獄谷には、八大地獄の他に職業に応じた地獄があるのが特徴です。油(屋)地獄、紺屋地獄、室屋地獄、鍛冶屋地獄、鋳物師地獄、団子屋地獄、百姓地獄、狩人地獄、泥地獄、八幡地獄、血の池地獄などがあり、全部で136地獄あるらしいです。
油絞り石 みくりが池温泉横の急な階段を下りると地獄谷へ着きます。その階段途中で地獄谷に向かって右手に大きな岩があり、その岩を「油絞り石」と呼んでいます。地獄の亡者が鬼に絞られることからついたようです。できれば、会社で上司に絞られたくありませんね。
賽の河原 室堂山荘近くから立山を望むと、下方に小川が流れています。それが浄土川ですが、立山では、雷鳥平の端の浄土川の河原が、この世と浄土との境目となり、「賽の河原」があります。有名なのは佐渡島ですが、立山にもあります。ただし、三途の川はルート内にはなく、電鉄富山立山線、千垣駅付近にあるそうです。
硯ケ池 別山にある小さな硯型の池で、渇水期にはなくなることもあります。
八月下旬に、この池の水を芦峅寺の衆徒たちが水筒にくみ取り、大切に持ち帰って各家の仏間で保管します。十月になると衆徒の家では、檀那場まわりに持参する経帷衣や各種の護符作りをはじめますが、硯ヶ池の水を使って墨汁をつくります(“神の水”)。
みどりが池 水深1.6mの火口湖。修験僧が水を汲んだ池(水取りが池)や碧池(深い緑の池)などの意味をもつ池です。
血の池 血の池の由来は読んで字のごとくです。血の池地獄からきています。立山では血の池地獄は女性だけが落とされる地獄であるとの言い伝えと、その地獄から救済される血盆経信仰がありました。
立山トンネル 昭和41年春から工事が始まり、難工事のすえ昭和44年12月にようやく貫通しました。トンネルの中間点にはトロリーバスの交換所があり、ちょうど雄山の真下にあたります。中間点の真上612mに主峰「雄山」があり、まさに立山を貫いて造られたトンネルであることがわかります。
破砕帯 立山トンネル、関電トンネルともに、掘削途中で断層破砕帯に遭遇している。断層破砕帯とは砕けた岩石の地層で、そこからは毎分44トンもの湧水があふれ出しました。今でも破砕帯(50m間)の場所はトンネル内に青い蛍光灯で示されています。
立山トンネルトロリーバス 平成8年にモーターで走行するトロリーバスになりました。正式には無軌条電車と呼ばれ、タイヤがついているけれども、実は電車なのです。1両72名まで乗車でき、室堂、大観峰とも4台まで一度に運行できます。(中間点ですれ違える台数が4台まで)
立山ロープウェイ 大観峰と黒部平の間、1.7kmの距離を運行するロープウェイです。1.7kmの距離で途中に支柱が1本もないロープウェイはアルペンルートだけです。秒速7.5mの速度で運行が可能で、大観峰〜黒部平間を5分で移動できます。
黒部ケーブルカー 黒部平〜黒部湖間を運行するケーブルカーです。最大斜度31度と急勾配で全線地下式、黒部平の巻上機械でワイヤーを上下させることにより(つるべ式)運行されています。
黒部ダム@ 黒部ダムはアーチ式ドーム越流型ダムで、堤高では日本一(186m)を誇ります。堰堤の長さは492mで対岸まで15分ほどで移動できます。黒部ダムの発電施設は自然景観に留意して下流10km、地下150mに造られています。黒部ダムは関西電力が管理しており、発電した電力は関西へ送電されています。
黒部ダムA 黒部ダムの観光放水は6/26〜10/15に実施されています。放水は毎秒10立方メートル以上もあり、迫力ある姿を展望台から楽しむことができます。黒部ダムは堤高186mで日本一の高さです。
黒部ダムB 黒部ダムといえば黒部第4ダムのことで、迫力のある放水のシーンが思い浮かぶことでしょう。ですが、黒部ダムは栃木県にもあるんです。1912年に完成した日本で初のコンクリート式発電専用アーチダムで、こちらの方が古いはずなのに全然知られていないようです。
黒部ダムC 黒部ダムに関する質問でもっとも多いのが、ダムの水の色についてです。なぜエメラルドグリーンの湖面なのか?通説では廻りの山々の緑が映りこんでいるからというものです。でも、それだけではあの色にはなりません。複数の要因が重なってあの色になっています。銅イオンなどイオン粒子が多く含まれている。(銅イオンだけだと青色)水中に溶け込んだ物質が多いほど緑の波長が多く出ること。赤、橙、黄、緑、青の順で不純物が少なくなっていきます。海でも外洋は不純物が少ないため青が強く出ます。話はそれましたが、緑と青の両方の波長がエメラルドグリーンを作り出していると考えられます。
黒部ダムD 2011年の名探偵コナン劇場版「沈黙の15分」では、どこかで見たようなダムが爆発しています。(ネタバレすいません)実際にあったら怖いので、関西電力のトンネルに入坑する際には、厳しいルールを守らなければなりません。当社はどれだけ壊れても、下流の町に被害は出ませんので、ネタにして今度はコナン君にロープウェイのロープの上を、ジェットスケボーで滑り下りて欲しいと思います。誰か映画化してください。 
黒部湖遊覧船ガルベ 黒部湖を30分掛けて周遊する遊覧船です。乗車定員は80名でスピードは13.5ノット(時速25km)です。6/1から11/10まで運行しています。ガルベとはアイヌ語の黒部川(黒い川、魔の川)の意味です。ガルベ=黒部ということで船の名前になりました。
黒部ルート 黒部ダムと欅平を結ぶ資材運搬路線。普通、観光では宇奈月温泉から欅平までトロッコ列車に乗っていきますが、その先には立ち入り出来ません。一般の方は見ることが出来ない区間で、黒部(上部)専用鉄道といわれています。黒部川第4発電所建設のために昭和30年前半に造られたトンネルで、関西電力さんが管理されています。しかし、H8年から見学会を開催しており、年間34回の応募をしています。年間34回で1回30名ですから、年間1000名以上が見学できる!見たい方は申込みしましょう。
関電トロリーバス 立山トンネルトロリーバスとともに日本で2ケ所しかないトロリー路線です。平成19年のGWには開業以来通算で5000万人を達成しました。石原裕次郎主演の映画、「黒部の太陽」の舞台となった場所で、トンネル開通までには相当な苦難がありました。工事に携わり命を落とした方の慰霊碑が今もダムサイドに建っています。「黒部の太陽」は、香取慎吾主演でリメイクされたり、中村獅童の舞台になったりと石原裕次郎を知らない世代にも認知されるようになりました。
伊呂波字類抄 立山開山伝説が記録されている10巻本。記録では慈興上人が開山の祖となっており、ここまでは開山伝説と同じなのだが、慈興上人を有若(開山伝説にでてくる有頼の父)としている。
類聚既験抄 「るいじゅうきげんしょう」と読む。立山が開かれた経緯が100字以内で簡単に書かれている書。
万葉集 立山が記された最初の文献。越中国府の大判家持が「立山の賦」という長短歌を作っており、雄大、清涼、崇高と手放しで絶賛している。
今昔物語 立山の地獄に落ちた女性の話など、いくつかの話が掲載されており、中でも有名なのが「善知鳥」(うとう)というお話で、猟師が立山地獄に落ち、遺族に自分の供養をしてくれるよう僧侶に頼むおはなしです。
反魂丹 母が病になり立山の神に一心に祈りました。夢で薬の調合を告げられたころ、母は亡くなっており、急いで夢の薬を口に含ませたところ生き返ってというお話です。この薬が魂を反す(生き返らせる)ということでこの名がつきました。高山植物でよく似た名前のものがあります。ハンゴンソウといいますが、強い香りで、死者を蘇らせたという言い伝えや、垂れた葉が幽霊の手のように見えるからとする説などがある花です。
立山曼荼羅 立山の山岳景観を背景として、立山開山縁起の幾つかの場面をはじめ、地獄の様子、阿弥陀如来と諸菩薩の来迎、立山山中の名所、芦峅寺布橋大灌頂法会の様子などが、マンダラのシンボルの日輪(太陽)・月輪(月)や参詣者などとともに巧みな画面構成で描かれています。また、立山曼荼羅は、立山信仰を布教した立山衆徒により、全国的に広がりを見せました。
To be continue 随時追加予定.